上野千鶴子さん 東大祝辞が話題に

4月12日に行われた東京大学の入学式での祝辞が大きな反響を呼んでいますね。

祝辞を読んだのは、社会学者で認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長の

上野千鶴子さん。2011年3月まで東大にいたそうです。

私は正直上野千鶴子さんの考えはあまり好きではありません。この祝辞も全てが素晴らしい!とは思いませんでしたが、ところどころ心に響いたので記録しておきます。

まず、この祝辞について2つの相反する考えが私の中にあります。

それは

男性も沢山いいる東大の入学式でいうことなのか?

一方で

日本では一番とされている東大(将来国を導いていくだろう人が多く所属する大学)で伝えたことは価値がある

という考え方です。少しでも多くの東大生の心に響き日本を変えていってくれることを期待します。

全文が気になる方はこちらをご覧ください →東大のHPに掲載されています

私が好きな部分は以下です。

環境に感謝

そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

最後の「フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想」というのはとてもいい言葉ですが、女性を弱者と書いている時点でそれこそが差別なんじゃないかと思います。

予測不可能は未知の世界へ

「あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。」

特に予測不可能な未知の世界というのはそのとおりで、東大ブランドが通用しない世界でも生きていける知を身につけるというのは大切なことだと思います。

私は、上野千鶴子さん最初のほうに述べていた、女性だから差別されるのようなことを

思った事がないので、全部は素晴らしいとは思いませんが後半は素晴らしかったと思います。

今日、理沙がダンスのレッスンを終えてきました。

今回はダンス発表会でソロパートに選ばれ、長い時間ダンスをします。

今日も朝から夕方までみっちり本番のダンス発表会の練習をしていました。

理沙には、こういいました。

「理沙はダンスがとても上手い。今回もソロパートに選ばれた。本当にすごい。理沙が頑張ってきたからだけど、そういう環境があったからだよ。日本には理沙と同じくらいダンスがうまいけど、近くにダンススクールがなくて才能を発揮できなかったり、スクールにいけなかったりしてる人もいると思う。だから自分だけのおかげじゃなく、環境にも感謝しようね。頑張ってね。応援してるよ!」と

すると理沙が「そうだね。周りの応援してくれてる人に感謝だね。ママありがとう」といってました。

上野さんの祝辞に涙をしたという女性もいたようです。

私は最初の女性が苦労するという部分がわかりませんでしたが、それだけ差別のないような

つまり競争するような優秀な世界にいなかったんだろう、今もいないんだろうと思いました。

大学時代も女性であることに不条理は感じませんでしたし、就職の時も同じです。総合職で入社し、給与も男性と同じで差別を感じませんでした。

むしろ、女性で良かったと思うことばかりです。

このブログをみてる皆さんはどうなんでしょうか。

ただ1つだけ私が思っているのは、理沙と涼介には平等な機会を与えてあげたいということです。

理沙は女性だから勉強はしなくていいとか、大学はそこそこでいいとか

そういう事は全く考えていません。チャンスは平等にと思っています。